名古屋高等裁判所 昭和55年(ネ)318号 判決 1981年10月29日
第一審原告
(昭和五五年(ネ)第二九一号、第二九四号事件被控訴人昭和五五年(ネ)第三一八事件控訴人)
古田長
右訴訟代理人
福永滋
同
高橋美博
第一審被告
(昭和五五年(ネ)第二九一号事件控訴人昭和五五年(ネ)第三一八号事件被控訴人)
国
右代表者法務大臣
奥野誠亮
第一審被告
(昭和五五年(ネ)第二九四号事件控訴人昭和五五年(ネ)第三一八号事件被控訴人)
加藤康夫
第一審被告ら訴訟代理人
関口宗男
第一審被告国指定代理人
岡崎真喜次
外三名
主文
一 第一審被告らの控訴に基づき、原判決中第一審被告らの敗訴部分を取消す。
二 右取消部分に関する第一審原告の第一審被告らに対する請求を棄却する。
三 第一審原告の本件控訴を棄却する。
四 訴訟費用は第一、二審を通じ全部第一審原告の負担とする。
事実《省略》
理由
一争いのない事実
第一審原告が、昭和四七年五月二九日第一審被告国との間に、第一審原告の縦隔につき縦隔鏡検査(以下「本件検査」という。)をなすことを目的とする診療契約を結び、同日第一審被告の開設する国立療養所岐阜病院(以下「岐阜病院」という。)に入院したこと、本件検査は当時岐阜病院の医師であつた第一審被告加藤が担当し、同年五月三〇日実施されたことはいずれも当事者間に争いがない。
二本件検査前後の診療経過
右争いのない事実及び<証拠>によると、次の事実が認められる。
1 第一審原告は、昭和四六年一二月に感冒に罹患し、咳、発熱を来たし、これが昭和四七年三月まで続いた。その後、第一審原告は、昭和四七年四月に眩暈を来たし、全身倦怠感があるため、後藤医院で診察を受け、肝臓障害として治療を受けるうち倦怠感は同年五月初め頃やや改善したが、胸部のレントゲン写真撮影により胸部に異常陰影のあることが判明し、右後藤医院から、県立病院放射線科の奥孝行医師を紹介され、同医師の診察を受けるようすすめられた。
2 第一審原告は、同年五月一七日県立病院に赴き、奥医師の診察を受けた。奥医師は、同日第一審原告の胸部レントゲン写真撮影検査を実施したところ、縦隔の陰影が幅広く、縦隔腫瘍、悪性リンパ腺腫が疑われたので、精密検査のため、第一審原告に入院をすすめた。そこで、第一審原告は、同年五月一九日県立病院に入院し、胸部のレントゲン写真撮影及び断層撮影、心電図検査等の精密検査を受けたが、胸部断層写真等においても縦隔陰影が幅広く、悪性リンパ腺腫等の可能性が疑われたため、奥医師から、縦隔鏡検査を受けることをすすめられ、第一審被告国の開設する岐阜病院を紹介された。
3 第一審原告は、同年五月二九日第一審被告国との間に、縦隔鏡検査を実施することを目的とする診療契約を締結し、岐阜病院に入院した。そして、第一審原告は、同日主治医である石原浩医師の問診を受け、前記感冒の発症、眩暈、全身倦怠、肝臓治療、胸部レントゲン写真撮影による異常陰影の指摘、県立病院への入院経緯等を説明したほか、全身倦怠を訴えたが、咳、痰の訴えはなく、全身状態の所見では嗄声はないと確認された。右問診後、岐阜病院外科医長であつた第一審被告加藤は、第一審原告が持参した県立病院撮影の胸部レントゲン写真及び断層写真並びに重ねて岐阜病院で撮影した第一審原告の胸部の正面、側面、第二斜位のレントゲン写真を検討したところ、第一審原告の縦隔には右側に幅広い陰影があるほか左側上部にも陰影が認められ、悪性腫瘍等の存在が疑われたため、その究明には縦隔鏡検査が適当であると判断し、翌五月三〇日第一審被告加藤が術者となつて第一審原告に対する縦隔鏡検査を実施することとした。
4 同年五月三〇日、第一審被告加藤が術者、石原、横山医師が助手、松本医師が麻酔医として、第一審原告に対する縦隔鏡検査が実施されたが、その経過及び内容は次のとおりである。
すなわち、午後二時四〇分第一審原告を仰臥位にして気管内挿管による全身麻酔を施した後、午後二時五〇分手術を開始した。まず、胸骨突起の上約一センチメートルの高さでその左右の突起間の皮膚に約3.5センチメートルの横切開を加え、皮下組織を剥離後、正中線に沿い、浅頸筋膜を鈍的に破り、その下の胸骨舌骨筋及び胸骨甲状筋の二つの層をそれぞれ左右に離して、血管鞘、気管食道鞘、気管固有鞘に達した。次に、気管固有鞘を持ち上げ、同固有鞘を横に切開し気管を露出したうえ、示指指頭で約2.5センチメートルの深さまで気管の前面の組織を鈍的に剥離し、右剥離により生じた空間に縦隔鏡を挿入し、直視下で、気管と気管固有鞘を尖端が鈍な吸引剥離子で押えて剥離しながら、左右気管支移行部まで縦隔鏡を進めた。この間、第一審原告の気管と気管固有鞘との間の組織は柔かく癒着もなく、気管前壁、両側壁の気管固有鞘を剥離進行するうち出血はなかつた。右剥離後、左気管気管支移行部に脂肪の塊が認められたので、リンパ節は脂肪の中に埋まつているとみてその脂肪の一部を生検用鉗子で採取した。ついで、気管分岐部まで前同様の手技で剥離を進めると、大豆大のやや灰色がかつた黒色で弾性の良い分岐部リンパ節が認められたので、その一部を採取し、更に右傍気管リンパ節に右同様の小指頭大のリンパ節が認められたので、その一部を採取した。なお、縦隔鏡抜去後、胸骨下に示指を入れて検査したが、胸腺及び腫瘍に触れなかつた。そこで、出血のないことを確認して水性ペニシリンを撒布し、創を縫合して午後三時三〇分検査手術を終了した。
そして、本件検査の術中診断では異常なしとされたほか、採取したリンパ節をスタンプ標本にして病理検査した結果では、組織学的に悪性像は認められなかつた。
5 第一審原告は、本件検査の翌日である五月三一日午前中に石原医師の診察を受けたが、経過良好として同日午後岐阜病院を退院し、県立病院に再入院した。
6 第一審原告は、県立病院に再入院した後、同年六月一日放射線科加藤信博医師に対し左頸部痛を訴え、ウログライン注射後発熱、疼痛を来たしたが、六月二日退院が決定され、以後外来で経過観察を受けることになり、同日県立病院を退院した。
その後、第一審原告は、県立病院放射線科外来で診察及び治療を受けてきたが、六月二〇日同放射線科の診療録(乙第一五号証)に嗄声の訴えが記載されるまでの間の第一審原告の訴えは左記一覧表記載のとおりであつて、同日より前に嗄声を訴えたことはない。
県立病院における第一審原告の訴え
月日 医師 概要
六・三 加藤(信) 少々倦怠感あり、少々脈が強い(その他特に変つたことなし)
六・五 加藤(信) 倦怠感あり、二二歳の頃(約一〇年前)の中耳炎の手術後、後頭部から右側頭部にかけて陥凹が漸次目立つて来たとのこと、なお小学校四年頃の手術でも陥凹を指摘されたという(自覚的訴えほとんどなし)
六・六 加藤(信) (抜糸)
六・八 加藤(信) 二、三日前から下腹部痛、便はやや軟で、便通は日に二、三回あり(下腹部圧痛)
六・一四 奥 頭痛
六・二〇 奥 肩凝り、嗄声、脱力感、右耳殻周囲疼痛
7 第一審原告は、同年六月二〇日県立病院耳鼻咽喉科外来で右の耳が聞えないとして診察を受け、耳あかの除去術を受けているが、同耳鼻咽喉科の診療録には、第一審原告が中耳炎の手術を受けた経緯等の説明内容が記載されているけれども、嗄声についての記載は何もない。
8 第一審原告は、同年六月二〇日嗄声を訴えた後、これに対する治療も受けてきたが、嗄声が改善しなかつたことから、六月二六日県立病院の前記加藤信博医師の指示に基づき同病院耳鼻咽喉科山本直輝医師の診察を受けたところ、左反回神経が麻痺し、左声帯が中位をとり全く運動が見られないと診断された。
9 その後も、第一審原告は、倦怠感を訴え、同年六月二七日、六月三〇日県立病院放射線科外来で診療を受けてきたが、奥医師は、七月四日第一審原告が前頸部、前胸部の疼痛、眼瞼がやや下垂で重量感があることを訴えたほか、嗄声を継続して訴えていたことから、胸腺腫瘍による筋無力症を疑い、同症に対する治療を八月四日まで実施した。この間、第一審原告は、七月一八日の診察の際、声が少し出るようになつたと述べているが、嗄声の改善は認められなかつた。
10 奥医師は、同年七月二八日の第一審原告の胸部レントゲン写真撮影の結果によつても、なお縦隔の陰影が幅広く、その像は従前と変らず、嗄声も改善されないため、七月三一日サルコイドーシス(類肉腫に似た病変がリンパ腺等に現れる原因不明の進行性疾患)の疑いを抱き、八月八日からサルコイドーシスに対する治療をはじめ、これを九月四日まで実施した。しかし、第一審原告の嗄声は改善されなかつた。
11 奥医師は、同年九月一二日第一審原告の胸部レントゲン写真撮影の結果でも、像は従前と変らないため、血管の異常を疑い、岐阜市民病院放射線科に胸部正側、断層撮影検査と診断を依頼した。
右依頼を受けた岐阜市民病院放射線科小松田医師は、九月二〇日第一審原告の胸部正側、断層撮影検査を実施したが、その結果では、右気管支下行枝周囲の炎症が疑われた。
12 奥医師は、右検査結果を踏まえ、同年一〇月二日第一審原告の気管支の精密検査を岐阜大学附属病院放射線科に依頼したが、同検査を実施した右病院の小山医師は一〇月九日第一審原告の気管支には変化はなく、胸腺腫が考えられる旨診断結果を奥医師に回答した。
13 奥医師は、同年一〇月一六日胸腺腫かまたはサルコイドーシスの二疾患のみが可能であると診断したが、その後一〇月二七日には胸腺腫とは断定し難いと判定している。なお、第一審原告の嗄声は、その後も改善せず、第一審原告は一二月一一日県立病院耳鼻咽喉科で診察を受けたが、同科は耳鼻科的に嗄声を治療するのは無理であると判定した。
14 その後も、第一審原告は、県立病院放射線科外来で継続して診察治療を受け、昭和四八年一月一六日には、顔面の右半分がやや腫れぼつたい感じがする、発声、嚥下は変りがないが、右眼が塞がつた感じで顔全体が突張ると訴えたほか、一月三〇日には、二、三日前より時々身体全体が熱つぽくなり、特に右眼が見えにくい感じがする、物を注視していられないと訴えるなどしている。
15 奥医師は、第一審原告に対する試験開胸の要否を検討するため、同年一月二三日第一審原告に愛知県がんセンター病院岡田慶夫医師を紹介し、諸検査を受けるようすすめた。
16 第一審原告は、同年三月四日愛知県がんセンター病院に入院し、試験開胸を前提とした諸検査を受けたが、その検査結果では、「①上大静脈造影:正常、②胸部の前後及び横断とも:正常、但し、上縦隔には炎症を思わしめる所見あるも腫瘍を思わしめる陰影ではない。恐らく縦隔鏡施行後のものであろう、③食道造影:正常、④肺血管造影:左右肺動静脈が太い、しかし正常」と判定され、第一審原告には開胸を要するほどの積極的な所見は認められないとされた。
17 第一審原告は、その後も、県立病院放射線科、岐阜病院、名古屋市立大学医学部附属病院、名古屋大学医学部附属病院、愛知医科大学附属病院、岐阜大学附属病院などで診察及び治療を受けるなどしたが、若干緩和したものの依然として嗄声が存し現在に至つている。
以上のとおり認められ<る。>
三嗄声発生の時期
第一審原告は、嗄声は本件検査直後から発生したと主張し、原審証人古田軍次及び第一審原告本人は原審においてその主張に沿うように供述する。
そして、<証拠>によれば、県立病院耳鼻咽喉科医師である同証人が昭和四七年六月二六日第一審原告を診察した際における嗄声の程度は、声がほとんど出ず、出ても非常に小さくて、口元へ耳を寄せなければ判らないような状態であつたことが認められる。もし、右認定の程度の嗄声が本件検査直後から生じていたものとすれば、右発声異常は本件検査後第一審原告を診察した医師らによつて容易に確知されるものと推認されるほか、後述のとおり縦隔鏡検査に伴う偶発症として嗄声の発症があることが医学的に知られていることからすれば、本件検査施行者等によつて同症状の観察及び回復処置がとられたであろうことは容易に推測されるところである。ところが、<証拠>によると、同証人は前項5認定のとおり本件検査の翌日である昭和四七年五月三一日午前中に第一審原告を診察しているが、第一審原告の発声異常を認めておらず、従つて、前示乙第二号証の七の岐阜病院の看護記録の同年五月三一日欄にはその点に関する何らの記録もないことが認められる。そして、第一審原告は同年五月三一日県立病院に再入院し、同日以降同病院放射線科において診察を受け、同科の加藤(信)、奥両医師に対しあれこれ自覚症状等を訴えているが、両医師とも同年六月二〇日までの間発声異常ないし嗄声につき前示乙第一五号証の診療録に何らの記載もしていないし、同年六月二〇日県立病院耳鼻咽喉科医師の診察を受け、耳あかの除去術を受けているが、その際、同科医師が中耳炎手術の経緯に関する第一審原告の説明を診療録に記載しているけれども、嗄声については診療録に全く記録しなかつたことは前項5ないし7で認定したとおりである。<証拠判断略>。
そうすると、第一審原告の嗄声は、前項6認定のとおり昭和四七年六月二〇日県立病院放射線科の奥医師に対し、第一審原告が嗄声を訴え、奥医師がこれを認め、前示第一五号証の診療録にその旨の記載をした頃に発生したものと認めるのが相当である。
ところで、<証拠>によると、麻酔のための気管内挿管による喉頭や声帯の直接の刺激によつて検査直後一過性の嗄声が発生することがあり、その嗄声は一ないし三週間で改善または回復することが認められる。そうすると、前項4認定のとおり、本件検査に当たつては、第一審原告に対し気管内挿管による全身麻酔が施されているが、第一審原告に嗄声が発生したのは前認定のとおり本件検査後二〇日を経過した昭和四七年六月二〇日頃と認められるから、気管内挿管の不手際によつて第一審原告の嗄声が右時期に発生した可能性はないものと認められる。
四本件検査と左反回神経麻痺の因果関係
1 嗄声と左反回神経麻痺
各証言、鑑定の結果によると、第一審原告の嗄声は左反回神経(声門の運動を司る神経)が完全に麻痺していることによつて惹き起されているものであることが認められる。第一審原告は、右嗄声は本件検査により左反回神経が損傷されたため発症したものであると主張するので、以下両者の因果関係について検討する。
2 嗄声発生時期との関係
前叙のとおり第一審原告の嗄声は昭和四七年六月二〇日頃発生したものと認めらるところ、<証拠>(上田直昭「術後性反回神経麻痺に関する臨床的研究」)によると、昭和二一年四月より昭和四一年一二月までの二一年間にわたり、広島大学医学部耳鼻咽喉科学教室臨床外来において、手術的侵襲を発生要因とする反回神経麻痺症例一五四例(ただし、手術内容は胸部手術後麻痺一二例、頸部手術後一四二例である。)の中には、発病期間(ただし、この期間は発症後初診時までの期間である。)一〇日以内のもの一〇五例、一一ないし三〇日以内のもの二二例、三一ないし九〇以内のもの六例、九一ないし一八〇日以内のもの五例、一八一日以上のもの一六例がそれぞれあることが認められる。右によると、その反回神経麻痺症例には縦隔鏡検査によるものは含まれていないが、手術的侵襲を発生要因とする術後性反回神経麻痺症例中には術後相当期間を経て発症する可能性ものあるものもあることが窺われるから、第一審原告の嗄声が本件検査後二〇日を経過した昭和四七年六月二〇日頃に発生したという時間的関係を理由に本件検査と左反回神経麻痺との因果関係を直ちに否定することはできない。
3 第一審被告加藤の本件検査の手技
そこで第一審被告加藤の本件検査の手技に不手際があつたかどうかについて検討する。
<証拠>及び鑑定の結果によると、次の事実を認めることができる。
縦隔鏡検査は、本来肺がん患者の縦隔(両側は左右の肺、下部は横隔膜、上部は胸部上廓上口に境され、気管、気管支、大血管、心臓及び食道等重要器官を擁している。)におけるがん転移あるいは腫瘍浸潤の有無を検索するために開発された縦隔に対する唯一の直接的内視鏡検査で、欧米はじめ、わが国でも積極的に行われている施術であり、その検査方法の概要は次のとおりである。すなわち、縦隔鏡検査は、通常、被検者(患者)に気管内挿管による全身麻酔を施したうえ、胸骨部を挙上した仰臥位をとらせ、胸骨上窩に三ないし四センチメートルの横切開を加え気管前壁に達し、気管前筋膜を切開し気管固有鞘内で気管周囲を指頭で可能な限り剥離した後、縦隔鏡を挿入し、直視下に剥離子を用いて気管の前面の組織を剥離しながら左右主気管支及び気管分岐部まで縦隔鏡を進出させ、腫大リンパ節あるいは腫瘍が認められる場合には、これを十分に剥離したうえ試験切除を行うというものである。
判旨右認定の検査方法に照らすと、前記二4で認定した第一審被告加藤の第一審原告に対する本件検査は、リンパ節病変の状況を把握しこれに応じて適切に型の如く施行されたものと認めるのが相当である。すなわち、第一審被告加藤の第一審原告に対する切開部位、縦隔内進入手技、リンパ節生検方法は内外諸家の通常行つている方法と同様で第一審被告加藤の本件検査の手技に格別不手際は認められない。
4 本件検査による左反回神経損傷の蓋然性
<証拠>及び鑑定の結果によると、次の事実を認めることができる。
左反回神経は、大動脈弓を迂回して気管と食道の間の溝を上行し甲状腺部位を経由して、喉頭内に達し声帯に分布している神経であり、個体差があるが、気管の前面、側面から約五ミリないし一センチメートルの距離を走行しており、左気管支起始部、気管食道溝左側面に関連が深い。このため縦隔鏡検査では、気管の左側方を剥離するに際し、左反回神経を損傷しないよう、また左側の傍気管リンパ節生検に際し、粗暴な操作をしないよう注意を払う必要があるとされているところ、わが国では昭和三八年から昭和五〇年四月までの間に施行された縦隔鏡検査一三八三例中嗄声発生(反回神経損傷のほか気管内挿管の直接刺激によるものを含むと推定される。)をみたものは一五例で、その発症割合は1.1パーセントである。そして、右の例のうち反回神経の損傷を生じたものの原因は、癒着に対する剥離、腫大リンパ節や腫瘍浸潤に対する剥離と生検のほか、広汎かつ過度の剥離検索が行われたものによることが判明している。
右認定の事実に基づき本件検査により左反回神経が損傷された蓋然性について考えるに、前記二4で認定した事実及び<中略>鑑定の結果によると、次の事実を認めることができる。
第一審被告加藤は、本件検査に当たつて、前記二4で認定したとおりの手技で第一審原告の縦隔鏡を挿入し、気管と気管固有鞘との間の組織を剥離しながら、左右気管支移行部、気管分岐部まで縦隔鏡を進入させたが、気管と気管固有鞘との間の剥離範囲は気管前壁と左右両側壁までであり、気管左側については左気管気管支移行部の脂肪の塊の一部を生検用鉗子で採取したのみである。そして、第一審被告加藤は、本件検査において、気管左側面の中央部より裏側へ縦隔鏡等検査器具を挿入するなど過度の剥離をしたことはなく、また左気管気管支移行部の脂肪塊の生検に際しても、深部からの生検は行わなかつた。更に、本件検査では、気管と気管固有鞘との間の組織の剥離並びに脂肪塊及びリンパ節の生検に際し出血はみられず、また本件検査時の縦隔所見、生検リンパ節所見では縦隔内癒着、腫瘍の浸潤等は認められなかつた。
判旨以上に認定した事実に照らして考えると、第一審原告の左反回神経が、直接的であれ間接的であれ、本件検査によつて損傷された蓋然性は、右神経の走行位置に個体差があることを考慮しても、極めて低いものと認めるのが相当である。<証拠判断略>。そうすると、本件検査と第一審原告の左反回神経麻痺との因果関係は、特段の事情が認められない限り、これを否定すべきであるといわざるを得ない。
五第一審原告の左反回神経麻痺の原因
<証拠>によると、反回神経麻痺には多種の原因があり、その分類についての専門家の見解は必ずしも一致していないことが認められるが、切替一郎「新耳鼻咽喉科学」(乙第二二号証)によれば次の四種に大別される。
(一) 神経の損傷
(二) 神経の圧迫または浸潤
(三) 急性感染症の合併症並びに薬物による中毒性神経炎
(四) 原因不明のもの
そして、前記二において認定した第一審原告の診療経過に照らして考えると、本件検査のほかに第一審原告の左反回神経麻痺ないし嗄声の原因となる可能性のある事由は、①サルコイドーシス(類肉腫に似た病変がリンパ腺等に現れる原因不明の進行性疾患)による反回神経圧迫、②胸腺腫瘍による筋無力症、③縦隔腫瘍に伴う反回神経の侵蝕病変である。
しかし①のサルコイドーシスについては、前認定のとおり県立病院の奥医師がこれに対する治療を試みたがその効果がなかつた。②の胸腺腫瘍については、前認定のとおり本件検査では胸腺腫瘍に触れていないし、前記奥医師がこれに対する治療を施したがその効果がなかつた。③の縦隔腫瘍に伴う反回神経の侵蝕病変についても、前認定のとおり本件検査時の縦隔所見では、腫瘍は発見されておらず、また、愛知県がんセンター病院の検査結果では、開胸を要するほどの積極的所見は認められず上縦隔の陰影は腫瘍を思わせるものではないと診断された。従つて、右①②③が第一審原告の左反回神経麻痺の原因であるとは考え難く、ほかに何が右神経麻痺の原因であるかを認めるに足りる証拠はない。そうすると、原審証人奥孝行、同山本直輝が証言するように、第一審原告の左反回神経麻痺は結局原因不明といわなければならない。
ところで、前記切替一郎「新耳鼻咽喉科学」(乙第二二号証)には、前記(四)の「原因不明のもの」について「この範疇に入るものが約半数を占める」との記載があり、野副功ほか「反回神経麻痺の臨床統計的研究」(甲第六号証)には、昭和三五年一月から昭和四五年一二月までの間に、久留米大学耳鼻咽喉科を受診した反回神経麻痺患者四〇〇例のうち原因不明とされるもの(感冒に続発したものを含む。)が二三二例(57.7パーセント)ある旨の記載があり、沢木修二ほか「臨床耳鼻咽喉科学」(乙第二三号証)の表三―三「反回神経麻痺六〇〇例の原因別分類」には、東大耳鼻咽喉科音声言語外来で一六年間に経験した反回神経麻痺六〇〇例のうち原因不明の特発性麻痺例が二五四例(42.3パーセント)あつた旨の記載がある。これらの各記載によると、原因不明の反回神経麻痺が全症例の少なくとも四〇パーセントあるものと認めることができる。
(なお、前示野副功ほか「反回神経麻痺の臨床統計的研究」(甲第六号証)には前記受診患者四〇〇例のうち原因不明であるが感冒に続発したものが七七例(19.2パーセント)あり、メカニズムは不明であるが疫学的観点から感冒と反回神経麻痺との間に因果関係があるものと推察できる旨の記載があるところ、前記二1で認定したとおり第一審原告は昭和四六年一二月に感冒に罹患し、これが昭和四七年三月まで継続していることに徴すると、第一審原告の左反回神経麻痺もこの範疇に属すると認める余地がある。)。
以上のとおり反回神経麻痺の症例中原因不明のものが多数(全症例の少なくとも四〇パーセント)あるのであるから、本件検査のほかに第一審原告の反回神経麻痺の原因が認められないことから直ちに第一審原告の左反回神経麻痺が本件検査によつて生じたものと推認することはできないし、ほかに両者の間の因果関係を認めるべき特段の事情の立証はない。
従つて、第一審原告の左反回神経麻痺が本件検査によつて惹起されたものであることを前提とする第一審原告の主張は、その因果関係につき証明がないものというべきであり、その余の点について判断するまでもなく、理由がないものといわざるをえない。
六結論
よつて、第一審原告の第一審被告らに対する本訴請求は全部失当であるから、第一審被告らの控訴に基づき、これと異なる趣旨に出た原判決を取消し、第一審原告の本件控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(瀧川叡一 早瀬正剛 玉田勝也)